前回の続き(前回記事 『美しい日本の掲示板』を読んだ)
便所の落書きだと揶揄される2チャンネルが何だか愛おしく感じる今日この頃、
私がネラーとなる日も近いか!?と胸騒ぎしています。
さて、本日のお題は、
2チャンネルは何故、愛おしいか!?
それは、日本人の潜在意識に即しているような気がするから。
「2チャンネル内でのやりとりは、昔の日本庶民の様子に似ている」
と、この本の作者鈴木氏は言っている。
まず、日本の中世・近世の庶民には苗字がない。
最低限の個人を区別できる呼称のみ。「ハチ」とか「クマ」とか。
2チャンネルの中でもほぼ同じ。
ユーザーのほとんどが名無しさん。
つまり、お名前がない。てことはよ、
社会に与える影響は少なく、発言に責任がないので、
言いたい放題!自演乙だってやり放題!!
まったりと、連歌のごとく、言葉のやりとりが繰り返される。
昔の日本の庶民が匿名で世に物申したと言えば、
落首・落書
政治風刺、政治批判、揶揄の目的で人々の目に触れる場に匿名掲示・配布される文書のこと。(ウィキペディアより)
確執のある官僚同士の昇任や栄転をめぐる政争道具として用いられていた。(ウィキペディアより)
なんだか、2チャンネルの殺伐とした様子に似てるよね。
2チャンネルで囁かれる、こう言った『荒れ』発言。
信憑性はというと、アヤシイ。。。何しろ名無しさんによる無責任な発言ですから。
しかし、ネラーにとっては、真実だろうとデマだろうと、何でもいいんです。
彼らにとってはすべてがネタ。楽しけりゃいいんじゃない。ヾ(●⌒∇⌒●)ノ わーい
落首・落書だって、昔の庶民の娯楽だったんだよ。
落首・落書には、庶民を虐げる権力者様の
アンナコトやコンナコトだって書かれる。
2チャンネルにも似たようなことがおこる。
2チャンネルの中にいる、コテハン(固定のハンドルネームをを持つ人のこと)。
鈴木氏が言うには、コテハンは名無しと違ってアイデンティティがある分、
その発言にも、ある程度の影響力があるそうな。
コテハンの発言に何かツッコミ所があれば、
名無しさんたちがよってたかって、コテハンさんをいじくる。
まるで、庶民が権力者さんのことを小バカにして落首・落書にするみたいに。
これもすべて娯楽。
楽しく、ゆるーく、またーり。。。。
日本人っていうのは、元々、昔の庶民がそうだったように、「個人」という意識を持たない民族なんだって。
何か言いたいことをいうときは、匿名で。それに対して、また匿名のだれかが返答する。
でも、明治時代に入って、欧米から個人主義的考え方が入ってくると、
自我がどうのとか、私という生き方、みたいなことが大切にされるようになったそうな。
だから、2チャンネルというのは、私たちが忘れかけている、
本来の日本人の姿とも言えるんだって。
いい話じゃない?
続きはまた今度。
次は、祭り・炎上について。
余裕があれば、ソーシャル・メディアについても書くね。