ソクラテスさんの凄さが、やっとわかったので、まとめてみます。

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“Post-cicuta” by delaque79 is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

『哲学の祖』といえば、ソクラテス。『無知の知』というキーワードでお馴染みの人です。『無知の知』とは、知らないことを知ってる、という意味です。実は前々から、無知の知なんて、当たり前のこと過ぎて、何が偉大なんかようわからーん、とずっと思ってました。ソクラテスさんの本を読んだらわかると思って、新潮社から出てる『無敵のソクラテス』を読みました。しかし、彼の凄さについては、よくわかりませんでした。本自体は面白かったから、おすすめ。

そんなこんなで月日が流れ、ソクラテス時代の歴史を調べてるうちに、わかってきました。ソクラテスさんの凄さが。たぶん、こういうことじゃないか?と思ったので、まとめてみます。

ソクラテスが生きた時代

ソクラテスさんは古代ギリシア都市国家アテネにいた人です。だいたい、アテネ全盛期後半から衰退し始めた頃のことです。この間に、ペロポネソス戦争がおこります。ペロポネソス戦争は、ギリシャポリス(都市国家)が二つのグループに分かれて争った戦いです。この戦争に敗れて、アテネは衰退していった、と言われています。

物知りそうな人たちに喧嘩売る日々

この時代のアテネの人たちは、ギリシャ最強の都市国家市民であるという自負から、『俺たち最強論』がはびこってました。我々は偉大だ。すべてを熟知している、と。そんな考えに疑問を持ったのがソクラテスです。「本当に我々は何でも知ってるの?知らないこともたくさんあるんじゃない?例えば、我々は隣の都市で奉られてる精霊のこと、よく知ってるかな?勇気、死について、熟知できてる?」そこで、ソクラテスさんは、アテネの物知り博士たちに、いろいろ聞きまわることにしました。お得意の問答法で。
たいてい、ソクラテスさんが物知り博士たちをの無知さを知らしめることになり、彼らのプライドを傷つけて恨みを買うことになりました。その一方で、ソクラテスさんの評判が上がり、ソクラテス信者が増えることになります。その中には、『国家論』の作者プラトンさん、ペロポネス戦争を敗戦に導いたペリクレスさんもいました。

ソクラテスの死

最終的に、恨みを買った物知り博士たちに、ペロポネソス戦争の責任を押し付けられて、裁判にかけらてしまいました。結果は死罪ということに。ソクラテスはこの判決を受け入れ、死をもって自分の考えを証明した、ということになってます。ほんとに証明されたのか?イマイチ腑に落ちない結末です。本人曰く、『死』はそんなに悪いもんじゃないよー、らしい。

最後に

ソクラテスは、かげりを見せ始めたアテネに喝を入れようとしましたが(本人は、そんなつもりなし。ただ、自分より知恵のある人を探したかった)、逆にアテネの衰退の波に飲まれてしまいました。ここから言えるのは、自分が凄い!最強!!という考えは、危険だなということです。異なるクラスの人々を下に見て、相いれない考えの人を陥れる。何だか私が住んでるお隣の国の様子を見ている気がします。

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